ビリケンちゃんおでかけ依頼

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ビリケンさん独占インタビュー

指定された場所は、通天閣のふもと、昔風情の残る喫茶店「ドレミ」。
〝いかにも〟といった外観をたたえるその場所で、私は福の神・ビリケンさんへの単独インタビューを試みることになっていた。
なんといっても、福の神である。失礼があってはいけないと、予定時刻の1時間前に入店した私は、メニューに目を通し、ウェイターを呼ぼうと顔を上げたところで、テーブルを挟んで向かいにいつのまにか座っているビリケンさんに気がついた。

緊張している福の神

「早いやないか」

大人の声とも子供の声ともつかない声色で、彼は言った。
気付かぬうちに向かいのイスは横に避けられ、ビリケンさんはあのお馴染みの台座に腰をおろし、私の目をしっかりと見据えている。
なんとも律儀な福の神だ。人間界では、大物になればなるほど、約束の時間にはルーズになるものだ。取材の一時間前に現場に入る著名人など聞いたことがない。

「緊張してんねや、わかるやろ」

私の思いを見透し、且つ、照れくさそうに彼は言う。

「長いこと福の神ちゅうてやっとるけども、インタビューなんて初めてやからな。日本全国から通天閣までワシの足の裏をなでに来る人たちは多いけども、インタビューなんてハイカラなことは初めてや。朝からそわそわしてもうて、あげく気付いたら2時間も前からこの店におったわ。」
「さ、はじめよか。」

お茶目というかマイペースというか。実に人間じみた福の神である。

ビリケンさんは、20世紀初頭、ヨーロッパではアールヌーヴォーと呼ばれる芸術運動が花開き、ゆるやかに最初の世界大戦へと歴史が進んでゆくただなかに誕生したとされている。
ここ大阪へ顔を出し始めたのも、彼が誕生して間もない頃。〝新世界〟地域の産業の興隆を象徴するかのように建造された通天閣などと共に、大規模な火災やふたつめの世界大戦による戦禍も乗り越え、今もこうして多くの人々から足の裏をひたすらに撫でられ続けている。
2012年、通天閣は100周年を迎え、そこに祀られているビリケン像もあたらしいものになった。そんな21世紀初頭、彼は自身にと
って最初の一世紀を歴史に刻み終えたばかり。言うなれば今一番ノリにノッている福の神の一人である。
私は彼の、知られざる一面を垣間みるべく、約1時間に渡る取材を試みた。(1時間の取材のために彼は、2時間前からこの喫茶店に居たわけだ。)

ワシはどんなことでも全体的に手伝うたる。

まんざらでもない福の神

──まずは自己紹介をおねがいします。

「それは知っとるやろ?ビリケンさんや。何しにきたんや。
まあ通天閣で一番のイケメンの福の神と言われとる。ワシの足の裏を撫でてくれたら、具体的に何、ちゅうことはあれやけど、全体的にいいことがあんで。」

ビリケンさんのご利益については諸説ある。
彼は金運、商売運を授ける神様だ、という人もいれば、合格祈願の神様だ、とする人、縁結びの神様だ、と信じる人もいる。『全体的にいいことがある』とはぐらかす当人だが、本当のところはどうなのだろう。

── 本当は、なにか得意分野があったりするんじゃないですか?

「得意分野・・・。全部や。全体的に、や。ワシの座ってるこの台座な、よう見てみ。英語が書いてあるやろ。」

確かに彼が座っている台座には、日本語や漢文ではなく英語が書いてある。それは日本で見られる多くの福の神との大きな違いだ。そういったオシャレなアイテムのチョイスが、次代を担う"最近の福の神"として知られる彼ならではの、細部へのこだわりなのかもしれない。

まぁ、全知全能の神やからな。

「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE 言うてな。ほれ、台座のここんとこ。読めるか? THE GOD AS THINGS AS…、そうそう、ぐる〜っと回ってよう見てみ。THE GOD OF THINGS AS THEY…、何回言わすねん。ええわ、あとでよう見せたる。THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE言うてな。直訳すると"万事あるがままの神"ということ。

ワシはどんなことでも全体的に手伝うたる。大きな悩みも小さな悩みも、金の悩みも恋の悩みも健康の悩みも、悩みを抱えてがんばっとるという意味では全部一緒や。ワシはそういうところは差別なく、ざっくりと言うたらあれやけ ど、全体的に手伝うてあげたいねん。」

── ざっくりと、とはまたご謙遜を。要するに全知全能の神様、ということですよね?

「いやいや全知全能て!そこまでは言うとらん。そこまでは言うとらんて。何をおまえ突然また。」

と、照れてコーヒーをこぼす。

私は彼のために二杯目のコーヒーを頼もうと、ウェイターの姿を探すと、「ええで。」と彼。
見れば手元のコーヒーカップには、元通りコーヒーがなみなみと入っていた。

── そんなことまで出来るんですか?

「まあ、全知全能の神やからな。」

まんざらでもないようだ。

むぐぅ、とうなる福の神

ビリケンさんに取材をしていて驚いたのは、対面の時はともあれ、その後インタビューを進めるにつれて、私自身が、意外なほどリラックスしていることだった。
目の前にいるのは、神様である。しかし不思議と私は、彼のチャーミングな所作や雰囲気に取り込まれ、次第に肩の力が抜けていた。
そんな彼の親しみやすいオーラは、いったいどんな生活の中で育まれてきたのだろうか。

「世界を見渡すと、実は日本以外にも、ワシの形をした人形やグッズなんかがぎょうさんあるんや。日本人には意外かもしれんけど、実際にワシはこれまでも世界各地を点々と旅しておる。せやけど、やっぱり大阪に居るのが一番落ち着くのう。」

我々一般人がビリケンさんに会うには、通天閣の展望台に上がるのが一番簡単だ。他の福の神や大仏などと比べ、大仰な社の中に鎮座しているわけではなく、手を伸ばせば簡単に触れられるそのたたずまいには、言い方は悪いが"敷居が低い"という印象を持ってしまう。
しかしそれは裏を返せば、それだけ地域や参拝に来る人々の生活に近い距離にいる神様だということも出来るだろう。

「ワシ最近な、大阪の街へ自分から繰り出してみることにしてんねん。
まあこれもひとつの社会勉強やな。街の人たちは、朝から満員電車に乗って会社や学校に出掛けて、一生懸命働いたり勉強したり、それか
らお母さんたちは家でせっせと家事や子育てをしたりと、もう大変や。
そんななかで恋や友情や人間関係に悩んだり、ひっちゃかめっちゃかになっとるんやろ?
でもワシからしたら、そんな生活というのも悪くないもんやで?日常のなかで出てきた悩みごとというのは、解決策もまた日常のなかに隠れとるもんや。
ワシもまた人々の生活の中に身を置いてみて、あたらしい発見というのはあるもんやで。
いくらワシが全知全能と言ってもな…」

── 全知全能はもういいじゃないですか。

「むぐぅ。気に入っとったんやけどな。まあ要するにな、最終的にいろんな問題を解決出来るか否かは、その問題を抱えている本人次第ということや。」
「悩みや願い事を抱えたひとが、ワシの足の裏を撫でる。撫でられたワシはその人のために最大限の後押しをしてやる。そこはウソはないで。せやけどこっからが肝心や。さっきも言うたとおり、悩みの種が生活の中にあったなら、解決の種もまた生活の中にある。日々のなにげない生活ちゅうもんをなめたらあかんで。ワシも必死にみんなのために努力するさかい、みんなも日常の生活や仕事に必死に取り組むことが大事や。そういう人の手伝いをワシはしていきたいんや。」

人々のなにげない生活に目を向け、その中に解決の糸口を見い出そうするビリケンさん。そんな彼だからこそ、人々に愛され、逆に、我々一介の人間目線から見ても親しみやすい雰囲気を纏っているのではないだろうか。

…ツッコんでくれへんのかいな。

思いを馳せる福の神

反面、福の神業界(そんな言葉はないかもしれないが)での先輩にあたる神様たちの中でのビリケンさんのたたずまい方にも注目したい。
世に言う七福神(恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋)にビリケンさんが加わるかたちで「八福神」と称されることがあるのをご存知だろうか。
文献によると、この謂れの発端は大正初期にまで遡るとされるが、これについて当の本人はどう思っているのだろう。

「うれしいことやで。んん、うれしいことや。恵比寿さんも大黒天さんも…七福の人たちみんな、なにも自分たちから〝我々が七福神です〟言うて名乗ったわけではないと思うけどな。人々が皆さんらを崇めていくなかで〝七福神〟ゆうことになったんやろうけども。そこにワシも入れて数えてくれるゆうのは、ああ、うれしいことやで。ワシもがんばりがいがあるっちゅうもんや。
あれやで。こんなことあんまり大きな声では言われへんけどな。これ、記事に載せたらあかんで。最近、やれエーケービーやら、エヌエムビー言うて、ぎょうさん女の子が集まって歌ったり踊ったりしとるやろ。あれとおんなじように、みんなのお気に入りの福の神を見つけたらええんちゃう?
言うたら、福の神8人やから、エフエヌケー・エイトや。」

── それ、今思いついたんですか?

「せやで。」

── やめたほうがいいと思いますよ。

「そうか?気に入ってたんやけどな。
じゃ、やめとくわ……
せやけどエフエヌケー・エイトでまずはオリジナルソングを作ってやな…」

(筆者、聴こえないふり)

「カラオケで歌いやすいキー設定にして…」

── ………。

「ネットではなく、カラオケから火がついたアイ……ドル……?」

── ではないですよね。

「せやな…。」

それにしても商魂たくましいというか、さすがは商人の街の実生活に根付いた神様である。

当人のそんなお茶目っぷりはともかくとして、確かに古い文献などを辿ると、ビリケンさんが恵比寿と相撲をとっている絵や、大黒天がビリケンさんの後ろでこちらに手を振っているユーモラスな絵など、彼が古くから七福神と同じく、民衆の厚い信仰の対称になっていたことが分かる資料を目にすることが出来る。

ツッコんでもらえなかった福の神

ビリケンさんに対する信仰のかたちとして、特徴的なのはやはり"足の裏を撫でる"という一見変わった行為だろう。これもまた古くから変わらないかたちなのだろうか。

「せやな。ワシは昔からずっとこうや。おかげさまでワシの足の裏見てみ。撫でられすぎて、扁平足のつんつるてんや。
あとな、さっきワシは得意分野をこれといって定めんと、全体的なお手伝いをさせてもろてる言うたけどな、実はワシの足の十本の指あるやろ、それぞれ、撫でた指によってご利益が変わんねんで。指によっていろんなご利益があるって、すごいやろ。
なんでか分かるか? 全知全能やからや。」

── ………。

「ツッコんでくれへんのかいな。」

── ではまずは親指のご利益から訊かせてください。

「ハイまずは親指!(いじけた気持ちをテンションでカバー)
親指ってな、自分のも見てみ、足の指のなかでもいちばんぷっくりと太っとるやろ。
つまり〝豊穣〟を意味しとるわけや。まあ言うても、現代人には〝豊穣〟いうのもいまひとつピンとはけえへんやろな。仕事でお金を稼いでいる人たちにとったら、それはつまりお金が儲かるっちゅうことや。
お金にまつわる運気を上げたいと思ったら、ワシの足の裏をなでたあとに、親指にもちょこんと触れてな。そしたらあんた、とたんに金運アップやで!」

── すごいですね。さすが全知全能の神!

「…………。」

── まあ、そう意地を張らずに。

「せやろ!さすがやろ!」

── で、他の指のご利益はどうなってるんですか?

「それはまた今度やわ。」

── というと?

「いや、せやからな、それはまた今度や、言うてんねん。」

── 今度。

「そう、次回のインタビューのおたのしみや。」

── またインタビューに来て欲しいということですか?

「ええんやで。他の指のご利益、知りたないっちゅうんやったらな。」

── 意外と出たがりですね。

「ええんやで。別にそれはそっちの都合で。ええんやで。」

そのアットホームな雰囲気にすっかり油断しきっていたが、やはり彼は大物である。取材の終わりは自身で決める。編集部の都合などおかまいなしだ。

「ほな。」

と言い残して彼は、台座ごとふわりと宙に浮いた。
引き止めようと手を伸ばしたが、私の手は彼のつま先にかすっただけで、次の瞬間にはもう彼の姿はそこにはなかった。
不思議な神様だ。

まるで友達のように接してくれるのだが、時に人間の都合とは関わりなしに忽然と姿を消してしまうなど、人間離れした、実に神様らしいところもある。
人々のなにげない生活を想い、人間らしく振る舞い、しかし福の神として我々にご利益を授けてくれる。それがビリケンさんという神様だ。
現に私が喫茶店を出ようと支払いを済ませたとき、支払った額に対しておつりが多めに返って来た。
さっき私の手が彼の足先をかすめたとき、触れたのは偶然、彼の親指だったのだろう。

律儀な福の神である。